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片頭痛がなくなっても

借りた本を病院の待ち時間中に読み終え、感想を持ち主に伝えたくて指先が動く。

動いては止まり、送信ボタンの上を行ったり来たり。

迷子の指先は、結局、削除ボタンを選ぶ。

 

この本の結末は、どこへ、何を伝えたかったのだろう?

片頭痛もちの私は思う、この痛みが終ったら人間嫌いが加速する何か欠落が生まれるのかな?と

でも、飽和状態になるほどいつも哀しみを持ち合わせてはいない。

主人公は、自分は人に愛されることも、愛することもない人生ならば終わればいいと願う人だったけど。

私はちょっとだけ違って、なら1人で生きるための職業を選ぼうと思った。

周りのように、結婚に憧れがなくとも、誰かを想えなくてもいい。 

周りが感じている温かい幸せを感じられない。

そんな明日が寂しいと感じる日もあった。

だけど、生きていたいのも本当で

なら、私らしい未来の選択肢を選べばいいとそう寂しさの裏側で思える自分がいた。

 

つまりは、私は虫(物語に登場する寄生虫)が寝床にする精神状態じゃない。

と、勝手にそう希望的観測をもってこの物語を回想している。

 

時々、喉を必要に叩くウイルスで今は咳がとまらないけれど。

悲観するよりも、治そうと努力する気持ちがあるから病院へも行くし

そこにどんな結末が用意されていようが、受け止めて、生きていけるだけの希望をもって病気と共存をしている。

感情の癖が、確かに人から見て、淡々としていて暗く見えてしまう。

だけど、わざと隠して明るく振る舞い、周りと同じモノを持っていない自分が不幸なんて思わない。

この生きたいと思える意思が、そこに根付いていたらきっとなんとかなると思っていて

それは、人に認められないから価値が下がるわけでもなくて。

自分自身で思えることが大切なんじゃないかと思える。

どうしてなんて理由なんてわからなくていい、生きたいと思える、そうそれだけ。