起き抜けに

きっと、カレならわかってくれる「はず」と思い込み、違いを恐がった。

「他人」なんだから、違いがあって当たり前で

視点のひとつ、ひとつの違いを楽しむために、もっと話せばよかったと今なら思える。

「はず」という思い込み、勝手に安心して言葉で伝えることを疎かにしてはいけないんだ。

似ている部分は確かにあった、だけど完全にはまるパズルみたいな関係はどこにもなくて

だから、違いを知り、楽しみ、思いやりをもち、ひとつ、ひとつ積み重ねていかなければいけない。

それは、家族でも、友達でも、恋人でも同じことが言えて。

「他人」という響きはなんだか、私の中では冷たくて寂しく響くけど。

私なんて、ひとりとは今は思わない。

どんなに、自分が嫌いになっても、そんな私でもそれでもいいと言ってくれた周りがいたからだと思う。

周囲に、感謝を忘れずに。「ありがとう」と「ごめんなさい」は言える自分でいよう。

 

ご飯の食べ方ひとつとっても違いはあり、それを指摘されて萎縮してしまうけど。

それで、私を嫌いになるわけじゃなくて、それで大喧嘩して会わなくなるわけでもない。

こんな恐がりな自分を、今度、会ったら言ってみよう。

そして、彼からもらったこんな気持ちを、友達がくれたこんな気持ちを伝えたい。

たどたどしくても、上手く言えなくてもいい。

言葉にする努力をしようと、そんなことを考えた起き抜け。