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こじらせ、バロス思考

こじらせという症状がときどき、ある特定の人の前にでるとでてしまう。

自信がゼロになって、自分を自分で支えられなくなり、自尊心が限りなく0に近くなる症状。

あぁ、「私なんて」と最悪な言い訳のオンパレードと不器用さを発揮する。

ここ数か月、その症状がひどくなるときはかならず相手に叱られ、半泣きで帰ってくるという悪循環を繰り返している。

客観的に、現状を把握し、自分を振り返りは分析をする。

なぜ、友達がいう私の良さというものがだせないのかとつくづく思う。

参考書として、今は大人気のドラマの原作コミックを買ってもらう、世話のかかることこの上ない私なのだが。

ドラマも、間に合えば必ず見ている。共感が沢山あることと、単純にあの2人が好きだから。

私には「無理」とか「似合わない」という意識は逃げているだけで、何も変わらないことも承知している。

「雇用主」とか「社員」とか、その枠を壊さないようにも言い訳なのだろうか?と重ねる。

困ることがある「やりたいこと」ができなくなることで。

それを壊す、バルスという言葉を言ってはいけない、いけない、自分をだしてはいけないといつも戒めているため、普段の自分をだしていいのかわからず、うずくまり、固まってしまうのだ。

それが、言葉足らずにそっけなく、表情が硬くなる原因で。

こんな私を天然たらしとか、冗談でもいう友達は何を見てそういのかが理解不能で。

身内が可愛いのはよくわかる、可愛すぎて手がかかっても、なんだかんだ心配し、ときに厳しく、ときに甘いことも知っている。

プロの独身は自分を律して生きなければいけない、甘えたりしたら戻れない気がしてこわい。

知らないふりをしようと、懸命になるのだがそれも言い訳なんだろうなぁ。

バルスと勝手に滅びる前提で妄想すること事態、こじらせている。

緊張はすれど、何も感じないイケメンには、きっと楽しく話せるし、素直に好意をしめせる。

だがしかし、それが大切な人となると、言えなくなる本末転倒な自分。

理由があれば手ぐらいならさわれる、だけど自分から髪なんてさわれない。

理由付けが上手な相手に私はいつもしてやられている。

そもそもさわろうという発想にいたらない。

寒いから体温をかりようと思い指先をかりるのとは訳が違う。

ハグの日、なんてあったら困る。

あぁ、今日の最後の言葉を思い出す。私には無理です、と言いたくなる気持ちもわかる。

だが、両想いなら話は別で、図々しくなる気もする。

光は自分で探し、切り開くしかないのだ。

リーテ・ラトバリタ・ウルス アリアロス・バル・ネトリール