次の一手

ペーパー上で、頭がいいということと、知的に思われることはイコールではないらしい。

学生時代、下から数えたほうが早いぐらい成績は悪かった。

のにもかかわらず、馬鹿にされた記憶がない。

周囲は勝手に秀才と思い込んでくれた。

赤い文字の並ぶ答案用紙ばかりの私をだ。

今も、自分より偏差値が高い友達が多いことに気づく、器用で社交性もあり、絵にかいたようないい会社に勤めている。

そんな友達が私のことをおもしろがってくれる不思議。

沢山のことを知っていて、頭の回転が速く、決断力があり、未来という設計能力に長けている。

すごく頼りになるし、私の子供のような素朴な質問にも答えてくれる。

人として尊敬できる部分が沢山あり、どうしようもなく困ったとき根気強く話を聞いてくれる人達。ただただ私をおもしろいと思っている人たち。

私からすると、やっぱり頭がよすぎる人は「変わっているな。」と思う。

だけど、相手からすると「普通のつもりなの?」といつもかえされてしまう。

感覚のままで生きている。もちろん、他人を考慮して好き放題にではないけれど。

自分が好きなことは、世間体という枠組みでは馬鹿にされだろうなと最初は気にするのだが、いつの間に気にならなくなってしまう。

きっと、これは大人には不必要な感覚で。

女性は現実的な生き物だと言うけれど、幼い頃からその部分に周囲とズレを感じていた。

選ばれるための形でなく、それがいいから選ぶ。

好きは左右されるものでもなく、1人が嫌だからやらないものでもない。

男性ウケしないものばかりよくも選べるなと自分でも思うけれど、好きなんだから言い訳もしない。私はこうなんだという主張が感じられる女性は好まれない、それをいいと言ってくれる人は女性ばかりな現実分析。

 

右のサイドを鼻の位置ぐらいまでにカットして、左のサイドは顎のラインで。

後ろ髪は切りそろえるだけで、前髪は右斜めに。

アニメのキャラクターを考えているわけではなく、自分の髪型をオーダーするときの現実的な設計図。あぁ、きっと楽しい、きっと似合うという感覚。

その感覚を、初めて見た方に「椎名林檎のような、またいびつな失恋でもしたのかと思った。」という感想が一番おもしろかったなと振り返りながら、次の一手を考える。あぁ、前髪がのびたよ。