比べるという無意味さ

罪人の痛みは自業自得、純真無垢な少女の痛みには優しさを。

でも、痛みは一緒であることに変わりはない。

だから、自分の痛みなんてと比べ蓋をするべからず。

自分なんて、自分が悪いと責める癖はなかなかぬけない。あぁ、溜め息

本当は言われた言葉に傷つき、掻き毟り血が滲む。

その傷もふさがり、安堵したらつかの間、痒みに誘われ瘡蓋をはがす悪循環。

人の心を優先する臆病さもどうにかしたい。こんな関係なんて切り捨てればいい。

 

自分が思うより、人はずっとわがままで自分に素直に生きても支障はないということ。

私は、休日、午後2時以降じゃないと待ち合わせしないの。とか

私は、連休じゃないから早めに帰るは。とか

きっと、そこにあわない人とはこの人は付き合わないなんだろう。

正直、私はその言葉だけを見るとなんてマイペースな人なんだろうと思う。

だけど、本来それでいいんだろうと思う。

 

その真逆に、誰かが自分の日々の手綱を握ってほしい人がいる。

なんでもいいわ、あなたにお任せするわ。さぁ。

と言いながら、意思を主張するめんどうな困ったさんより計算がなくて付き合いやすいじゃないか。

 

毎日、連絡を恋人ととり。それが、義務みたいに思っていた時期がある。

相手を知るために、知ってもらうために。進めるための手段。

画面の言葉に一喜一憂なんて、今の私にはできない技を過去の私はやっていた。

 

今は、要件以外の連絡をとらなくなった。

あぁ、この人と約束もすることもないと思うとすぐに削除ボタンを押してしまう。

正直なところ、そのボタンをもっと押したいと思っているぐらいだ。

会いたい人に、お互いが都合がつくときに会えたらそれでいい。

 

化石だとバカにされる携帯電話の機種も、私には便利すぎるので、Gmailでもいいぐらいだ。

相手がかまわなければ、手紙でもいいぐらいだ。

特別とはなんだ、連絡の頻度や速さじゃ図れない。

見返りも求めてしまう邪さもあれど、今は伝えることが大切だとそう思える。

1人、勝手なる不安と誰しも戦う。

自分が思うように自分は簡単に嫌われる。

だけど、自分が思うように自分を簡単に嫌わない人もいる。稀有を信じよう。

 

今夜は、又吉直樹さんの言葉にそんなことを感じた。