話を聞いてほしい世の中

無理をした代償で、意図としない人に好かれる。ありがちな悩みをよく耳にする

私は、話を聞いてほしいのに「聞いてほしい」男性に好かれる。

ぶつかり合い、合致しない世の中なんだなぁと思うときがある。

少なくとも、私の周りの異性の友達は「聞いてくれる」人しかいないから余計に不思議に感じる。

 

私は、その友達と比べれば話すことに重点をおいていない。

本を読んだり、音楽をきいたり、好き勝手歌ったり。

この服、好きだけど似合わない、このサイズがあれば、身長があればと頭の中で組み合わせたり。

ひとり遊びが好きだ。

 

第一印象から、次の約束につなげるために愛想よく、相手の気持ちがいい自分でいる。

でもそうすると、すれ違いが生じてしまうことはおのずと予想できるわけで。

 

自身が、第一印象が最悪な人間だという意識はある。

挨拶や礼儀を正しくするだけでは、好かれないことも承知している。

オーバーに相手の話を聞かないし、興味があれば楽しさが顔にでてしまう失礼なやつだ。

 

恥ずかしさや、意識してしまい上手くだせないときもあるけれど。

少なくとも、興味がある人には自分で話しかける姿勢は見せる。

 

結果、そういう不一致がおきなくなった。

人の話を聞くことは、幼いころから得意ではある。

でも、必要以上に共感したり、一生懸命になると誤解をあたえると気づいてしまったから。

 

自分の話を聞いてほしい人が、現代は多くなっているらしい。

交わらない類が友を呼ぶ、儒欲と供給の偏り。

 

幼く、不器用な自分を隠さずいると、自然とそれを許してくれる温和でしっかりしている友達ができる。

物をあまり知らない、危なっかしい私を叱りながらも教え、助けてくれる。

感謝を忘れず、覚え、一生懸命生きる。

下を見て、卑下をし、灰になるのを待つぐらいならあとは進むしかないと思うから。

 

自分の理想。どんな外見の人が好みで、どんな性格の人があうか。

外見も中身も、理想通りの人なんて滅多にはいないけれど。

ぬぐいきれない違和感をもったまま、演じた自分のままで恋をすることは難しい。

それは、友情においても同じことが言えると思っていて。

お互い自分のままでいれる相手と、無理があまりなく過ごせる居心地のよさが一番

いいひと「なんだけどね」、その後ろに隠れている違和感に嘘をつかずに

いいひとを受け入れられない、自分を責めずに誠意をもって断る勇気も大切なんじゃないかと

「俺を利用してもいいから」とそんな切ない優しさをもらっても、愛せないなら首を縦にふることは不誠実だと思うんです。