誰が決めた、その手順

人の持っているものは素敵に煌めく。

人と比べ、見劣りするものしかない気さえした。

生きづらさの理由なんて、山のように思いつく癖もあきた。

 

選んでもらいたい、愛されたいだけど、選んでもらう「きっかけ」は相手に要求。

て、なんだかとても上から目線な気がして思わず口にでてしまった「プライド高いね。」と

昨日の自分を前にしたような相談に、思わずでてしまった言葉。

 

時間は平等に過ぎていく。何もしなくても、口にしなくても時間だけは過ぎていく。

男勝りに生きたいと思っているわけでもない。

でも、会いたいという気持ちを伝えることに順番は関係あるのかな?

「あなたと会いたい。」という気持ちを裏にして誘うだけ。

返信という結論を勝手に予想して、言い訳にせずに真っ直ぐ伝える。

高鳴る鼓動もわるくない。

私には、言い訳の盾はもういらない。

 

相手にとって、大嫌いな瞬間が私の中にあっても

それでもしめくくる言葉が「今日も、楽しかったよ」と、言いあえるなら

勝手に想ったままでいようと、思える不思議。

 

花はミツバチを探しに行かないでしょう?と好きな芸人さんは言うけれど。

私は、この口で伝え、この足で会いに行ってしまう。

ダメウーマンでいいのです。

めんどくさがり

真っ白いキャンバスが生きていくうちに、色んな感情に色づいていく。

立ち止まり、空を見上げても雲は流れる。

置いていかないでと、幼い私ならそう思うのかもしれない。

1人で生きていくことの不安より、1人で生きていることの安心を考える。

傷つき、傷つけ。それでも、隙間を埋めるみたいに誰かと一緒にいることが幸せなのかな?

時々、そんなことを考える。屁理屈と言われたら、それまでなんだけど。

 

歌って、眠って、ぼんやりするために働いて

あとは、煩わしいとさえ思う弱さ。

部屋が綺麗でも、私は干物女だ。

だって、あとはめんどくしゃいのです。

 

時間と距離

14年ぶりに再会した目の前の彼に、あの頃の面影を探した。

面影すら頭が再生しないのに探す矛盾、懐かしさという距離も感じない不思議。

斜め横を見つめながら話す彼に、私はどう映っているんだろう?

ほんの数時間、ただ他愛もない話をした。

お互いの日常や、あのライブハウスはなくなって、こんなライブハウスができたんだ。とか

ほんとうに他愛もない話を、互いに好き勝手に並べていった数時間。

お互いの共通点は昔から変わらない、音楽が好きだということ。

と、多分、性格の構造がほんの少し似ているということだと思う。

日々、仕事に追われている彼ともう会うこともないのかもしれない。

また会うこともあるのかもしれない。

帰り際「また、東京へ来ることがあったら連絡くださいな。」とそう一言

友達とは不思議なもので、距離や時間がどんなにあったとしても再会した瞬間に

なんの違和感も距離感も感じないんだと、そう思うんです。

ポラリスになりたい

周りに恵まれているとしかいいようがない。

口にするとなんだか、恥ずかしくなる事実。

裏返し捻くれようがない事実。

 

新年の挨拶を画面越しに、葉書越しにしながら感じたこと。

その人のもっている優しさが、私にうつって優しい自分になれる。

いつも優しさをありがとう。と、書かれた言葉に首をひねりながら

あぁ、なるほどと。なんとなく、そう結論付けた。

 

何十年、会うことがなくてもつながりに違和感を覚えない。

会えないからと、不安になるわけでもない。

時々、交わす言葉に温もりを感じ、お互いの幸せを願う。

忙しなく動く心臓が終るまで、色んなことがおきる。

息をすることさえ煩わしいことだってある。

一息つきたいときもある、空っぽになって空を見上げ

憂い悲しみ、自分を蔑む。自分の必要性だとかを、誰かに預けたい日もある。

だけど、それがずっと続いて自分を否定するほどに、慢性的な風邪をこじらせているみたいに咳がとまらず、いつでも息苦しいのは嫌だ。

ちゃんとしなくたっていい、これでいいと思えることも大切だなって。

 

「そのままでいい」と、繰り返し、繰り返し、言ってくれた人がいるから今がある。

なんの見返りも求めない、優しさ。

「そのままでも、私は好きだよ」なんだその殺し文句はと、その言葉に泣き笑いしたことを

何度となく助けられた昨日を思い出す。

 

 

年明けて

年明けて、振り返り思うこと。

「1人」の時間を、自分を、もっと尊重して生きていこう。

時間には限りがある。だからこそ、自分が興味がもてるものにふれていきたい。

何かに急かされ、何かが不足している気分になる。

この漠然とした寂しさも、不安も、自分が生きていくうえで必要と思えれば。

過分なものを考え、とても単純な発想だけどまずは洋服を。

携帯電話の画面を見る時間を減らそうと思った。

今だって、周りと比べれば使う頻度は少ないのかもしれないけれど、何だかまだこの画面に振り回されている気がしているからで。

 

独特な自分を、変えようがない好きを大切にしたい。し、できるのは自分自身だということ。

ぞんざいに扱っていると、周りからもそう扱われるということを、何度も胸に留める。

沢山、音楽を聞いて、歌って

沢山、本を読み

沢山、大切な人たちと言葉を重ね

日々、色んな感情を楽しみたい

素直で在ることを、難しくしないことが、今年、一番の目標です。

 

 

 

 

 

伝えなきゃ、損だ。

存在価値に重たさも、形もないから不安になる。

愛と一緒だね、だけど「私は、あなたが好き。」と言える言葉があってよかった。

「私のこと好き?」と聞くより、勝手に幸せになるこの方法を知ったから

私はあなたからもらっている優しさを思い出すと、とても幸せな気持ちになって

あぁ、もう逃げたりしないと、嘘はつかないと決めた。

どんな私でも、誰かにとっては可愛い、憎めないやつなら

なんで、素直に好きと言えないのか。

そんなプライド、そんな恐がりやめてしまえ。

勝手に幸せになります、いつもありがとうと大切な人たちに伝えたい。

伝えよう、ほら、そのための言葉だしね。

内向的であること

内向的であることは決してマイナスばかりじゃない。

着地点をどこへもっていくかが大切で。

できないこと、哀しいことばかりに目をむけたままじゃ、きっといつまで経っても「私なんか」というループから抜け出せなくなる。

自分を一番底辺にしないこと、それが大切と何かで読んだことがある。

自分が一番、不幸と思っていたらどんな言葉も意味をもたない。

どんな思い出も糧にはならない。と、私は思う。

私は私、人は人。

抱えている辛さも暗さも比べはしない。

だけど、自分の辛さに蓋をして息苦しくなることも、誰かに自分の価値をつけてもらうために依存しても同じ結果になる。

自分で自分の価値を「まぁ、これでいいか」ぐらいに思えないと抜け出せない。

拭いきれない嫌悪感が自分にも、他人にさえ感じてしまう。

匙加減が難しい、人に聞いてもらい、背中を押してもらう。

でも最後の選択は自分で選び取り、踏み出さないといけない。

押してくれた背中の温かさを、その言葉を思い出して「大丈夫」と思える。

失敗し、躓き、別れを知り、どんなに落ち込んでも明日はやってくる。

それは、とても幸せなことだから。

当たり前のことが、当たり前ではない。

それを教えてくれた過去の哀しみも、今は大切な思い出で。

辛いことは糧にも毒にもなる。

時間と自分の意思で角度が変わるんだと気づいた。

内向的な人間の特徴、世間話よりもこういうとりとめのない話が好きで、おしゃべりになる。

あぁ、私、内向的ですね。