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恋する寄生虫

手渡された本の先に広がる世界。

潔癖症視線恐怖症が織り成す不思議な世界。

静かで、穏やかなそんな2人の世界。

フタゴムシのような永遠を人は願う。

無条件でその幸せが手に入ると、当たり前を描く。

現実は、愛の重さを言葉で図って、物で測って

相手が思い通りにいかれなければ、嫌になれば、違いを責めあいあっけなく終わる世界。

周りが持っているモノと同じモノが欲しい。と口にする子供と何が違うのかな?と

10代の頃の私は、あちらにも、こちらにも好意を手渡す同性が嫌いだった。

私には縁遠い世界。

人を好きになることも、好きと言われることもない「絶対」と本気で思っていた。

 

人見知りで、赤面症で、上手く笑えなくて。

それでも、世界は回る。それを辞退して終わらせることもできた。

だけど回り続けなればと、1人生きるための強さを持とうと思った。

それは、ただそこにいていいと、そのままでいいと笑ってくれた人がいてくれたから。

クリスマス、果たされない約束の結末の哀しさを思い出す。

 

世界は回る、辞退もできる。だけど、終わりがいつかくるのなら寿命まで歩くのも悪くない。

終わりは突然に、その儚さを知り、命の、明日の重みを知った。

 

 

3時間後に目がうっすら覚める、今夜も時刻は真夜中をさし

残る眠気をかき集めても、またなかなか寝つけない。

寝つきが悪い、眠りが浅い。

そんな方へ、快適な眠りを。なんてなあったけ、とそんな薬のパッケージを思い出す。

そんな体の癖と、淡々と付き合いながら生きていく。

誰しも、そんなちょっと困った癖ぐらいあるし。

癖の先読みをして、薬で治るならいいなぁと思う。

病弱だった幼い頃のおかげで、風邪も鼻で笑ったりせず、微かな変化もわかるようになった。

市販の薬で治らない可愛げがないウイルス、ほっといたらどこまで悪化するかわからない。

顔色が悪い、透けるような肌は病気がよく似合う。そんなイメージを裏切っていたい。

 

良いイメージと楽しい思い出は、手元に残しておきたい。

眠れない夜は誰のせい?なんてロマンチックな世界ではない。

いつも眠りにカタオモイ  8時間、眠ってみたい今夜こそ。

 

 

 

 

 

 

忘れられそうにないから

呼吸だけでは物足りないと、今日も渦巻く感情。

日々は選択の連続だ。

それを放棄することは、じわじわと自分の息の根をとめることなんじゃないかと思った。

自分で選び、彩る、滲む感情の色は幸せばかりじゃないけれど。

幸せの分量を人任せじゃ、一生満たされない想いに浸り、寂しさに凍えてしまうから。

結局、自分を幸せにするのも、不幸にするのも、大概は自分自身なんだ。

そんな曲をいつか作る。言いきれ、自分。

幼いころから、哀しい曲が好きで。

だけど、そこには共感と救いがあって。

滲んだ視界の先に、何を望むか、わかるまで泣けばいい。

今、必要な感情に嘯いても、瘡蓋もふさがらない。

溜め息がでる日もある。

滲み、伝い、痛み。この胸が張り裂けそうな日もある。

そんな日々に、さしのべられた優しさを私は忘れられそうにないから

留めて、声にして、音にしたい。

 

 

透明度

周りが変わらないと嘆くより、自分が変わればいい。と、思えるようになってから仕事でモヤモヤすることがあまりなくなった。

自分は自分人は人。どんなに大切な人でも、「他人」である違いを頭においておく。

違いに戸惑い、自分勝手にすれ違う自分勝手な寂しさを、少し軽くするためのおまじない。

劣等感、自尊心、自己開示、自己肯定感。

嫌われたくない弱さは、必要以上に自分を自分で傷つける。

わかっていながらやることは、自己陶酔で悲劇のヒロイン病なんだと、客観的に

客観的にがなかなか難しい、誰かに聞いてもらうとどうしても優しさを心の底で求めてしまうし

あぁ、言葉より文字にして俯瞰するほうがいいんだなぁと14歳の頃から編み出した方法。

聞いてほしい、わかってほしい、認めてほしい、優しくされて、全てを受け止めてもらったと勘違いして。

ほしいより、こうしたいと自分で自分に期待する。

明日への明るさが変わるんだと、ここ3年ぐらいで気づいたこと。

私の良さを、(自分にフラれたことによって)変わらないでいてほしいなんて捨て台詞をいただき

頭にきたし、全否定(してはいないんだけど、された気持ちになった)され、自尊心も砕かれたあの瞬間の私に、今の私はならなんて言えるんだろう。

でも、軽々しく「肯定」する慰めをかさねるより、ただ話を聞き、ただ側にいることしかできない気がするんだ。

選択はその人自身が決めることで、そこに余計なものがはいってしまうと選択を放棄する癖がついてしまうから。

 

14歳の私は、自分を知りたくて心理学を知り、大学で勉強し、今も迷ったときの参考にする。

知識があれど、迷いは消えない。自分を自分で認められないと、きっと悪循環は変わらない。

するすると口にするだけのダイエット状態。

そこまで意思が弱かったけ?すると決めたことはするバカ真面目さを、今回は長所として活用して少しずつだけど、自分の中で変わったことある。

まだまだ、至らない部分もあるけれど、何もしないよりずっといい。

 

こうなりたいと思う明日のための一歩は、出だしから好調でも平坦でもないけれど。

悲観して、酔いしれて嘆き乾くよりずっといい。

始まりの終わりはまだほど遠くても、変化を感じられることがこんなにも嬉しいんだ。

劇的じゃなくてもいい、少しずつ動きだす、今、感じた幸せを糧にして少しずつ。

音楽も誰かを想う気持ちも、自分次第で角度が変わることを知ったから。

こじらせ、バロス思考

こじらせという症状がときどき、ある特定の人の前にでるとでてしまう。

自信がゼロになって、自分を自分で支えられなくなり、自尊心が限りなく0に近くなる症状。

あぁ、「私なんて」と最悪な言い訳のオンパレードと不器用さを発揮する。

ここ数か月、その症状がひどくなるときはかならず相手に叱られ、半泣きで帰ってくるという悪循環を繰り返している。

客観的に、現状を把握し、自分を振り返りは分析をする。

なぜ、友達がいう私の良さというものがだせないのかとつくづく思う。

参考書として、今は大人気のドラマの原作コミックを買ってもらう、世話のかかることこの上ない私なのだが。

ドラマも、間に合えば必ず見ている。共感が沢山あることと、単純にあの2人が好きだから。

私には「無理」とか「似合わない」という意識は逃げているだけで、何も変わらないことも承知している。

「雇用主」とか「社員」とか、その枠を壊さないようにも言い訳なのだろうか?と重ねる。

困ることがある「やりたいこと」ができなくなることで。

それを壊す、バルスという言葉を言ってはいけない、いけない、自分をだしてはいけないといつも戒めているため、普段の自分をだしていいのかわからず、うずくまり、固まってしまうのだ。

それが、言葉足らずにそっけなく、表情が硬くなる原因で。

こんな私を天然たらしとか、冗談でもいう友達は何を見てそういのかが理解不能で。

身内が可愛いのはよくわかる、可愛すぎて手がかかっても、なんだかんだ心配し、ときに厳しく、ときに甘いことも知っている。

プロの独身は自分を律して生きなければいけない、甘えたりしたら戻れない気がしてこわい。

知らないふりをしようと、懸命になるのだがそれも言い訳なんだろうなぁ。

バルスと勝手に滅びる前提で妄想すること事態、こじらせている。

緊張はすれど、何も感じないイケメンには、きっと楽しく話せるし、素直に好意をしめせる。

だがしかし、それが大切な人となると、言えなくなる本末転倒な自分。

理由があれば手ぐらいならさわれる、だけど自分から髪なんてさわれない。

理由付けが上手な相手に私はいつもしてやられている。

そもそもさわろうという発想にいたらない。

寒いから体温をかりようと思い指先をかりるのとは訳が違う。

ハグの日、なんてあったら困る。

あぁ、今日の最後の言葉を思い出す。私には無理です、と言いたくなる気持ちもわかる。

だが、両想いなら話は別で、図々しくなる気もする。

光は自分で探し、切り開くしかないのだ。

リーテ・ラトバリタ・ウルス アリアロス・バル・ネトリール

尻をたたかれる

友達から「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」と「逃げるは恥だが役に立つ」をプレゼントされた。

恋愛に逃げ腰な私にしびれを切らし、逃げるなという意味をこめた叱咤。

私は、

プロの独身はさびしすぎても、人肌を知ってはいけない。

なぜなら人は一度、感じた快楽を求める生き物だから。

そう耳にしたことがあって、それがこわいから、人肌に甘えない。

甘えていいと、利用してもいいと言われても甘えてこなかった。

自尊心は低くても、自分が着たい洋服を着て、自分がしたい髪型にし、自分を蔑ろにはしていない。

嫌になっても、ストレスで身体に欠陥が増えても、そんな部分を含めて生きてきた。

このコミック(さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ)の評価が分かれてしまうのもなんだか納得。

共感できる部分、甘いんじゃないの?と思う部分の両面の声が自分の中にあって。

母親にお姉ちゃんなんだからしっかりしなさいと言われる自分を演じていた時期があった。

ただただ、真面目に生きて嫌なことがあっても学校へ行き。

片頭痛や耳鳴りのストレスのサイレンに耐えて、耐えて生きてきた。

そんな過去は自分事で、自分で受けとめ強く生きなければならない。

生きることに疲れたら、消えたらいい。

ドラマの中の星野さんのセリフが胸に沁みこむ「愛される人はいいな・・・」

それは、哀しみに酔っていると言われたらそれまでで、だけどゴミあつかいされた過去は消えなくて。

そんな私が、高嶺の花のような人に手をのばせる訳もなく。

ふれたら、散ってしまう気持ちを、ただその背中を見つめているだけで幸せを感じる。

あの人が生きていけるだけの幸せが続いてくれたらそれでいい。

知りたいと欲をだしたらいけない、困らせたらいけないと思うほうどに、彼の前で上手く言葉がでてこなくなる。

何より自分にはするべきことがあって、それを果したらもう会う理由もなくなる。

人に想いをよせることももうない。と、思っていた矢先に出会いは待ち受けているもので。

なんでだろう?

初めて会ったとき、あの人の背中を見て(この人は優しい人だから大丈夫だ・・)と感じた。

あの瞬間から、惹かれていた事実に言い訳はやめよう。

心配性な友達が言う、仲良しだし、付き合えばいいよ。と

あぁ、簡単に言ってくれるよ、彼女は

ご注文は?

月に一度、札幌へ行く。

最初は、すごく大冒険だったのに今ではお気に入りの場所もできるぐらいに、少しずつ土地勘がついてきた。

といっても、ライブハウスの出口を見失うほどの方向音痴は、常に迷子の恐怖を背中にせおいながら歩いているんだけど。

いつも立ち寄る書店、いつも昼食をとるカフェ、見晴らしのよい展望台。

そこへ新たに、ご飯が美味しいライブハウスカフェが加わりました。

次に立ち寄る際は、パフェを注文するんだと心に決めて。

少しずつ、少しずつでいいから変わりたい。

何度も、行くことがこわくなった、へし折るプライドもないはずなのに。

何が正解で、何が幸せなんだろう?グルグル・・グルグル・・考える、帰り道。

聞かせてもらったデモ曲に、勝手に出だしの言葉がうかんでくる。

どんな曲になるか密やかに楽しみにしながら。

「誰か・・・」私の頭にうかんだワンフレーズ。

寂しくて、切ない。でも温かみがある曲をつくる人だと思う。

年齢や外見に見合った私じゃなくて、自分で決めた自分に臆することなく生きていたい。

決めた、ストロベリーパフェに。