ストッパーの外し方

人に嫌われないように努力した、自分を押し殺し、相手にどう思われるかを気にして生きてきた。

結果、自尊心がほとんどない人になった。

何を話していいのかがわからなくなって、恐くなって、笑えなくなった。

笑えない本当の話。

自分は相手が望む、自分でなければならないと馬鹿げたことを本気で思っていた。

人形でもなければ、機械でもないのにだ。

正しく、間違えがない言葉を、相手を哀しませない言葉を話そう。

そんな息苦しい日々を勝手に続けていたあの頃。

ただ、両親に愛されたかった。

しっかりしていなくても、器量が悪くても、どんな私でも受け入れてくれる人が欲しかった。

過去はどうにもできない。

そして、両親が不器用で愛情を言葉でしめしてくれる人ではないことを今なら理解できる。

不器用な裏側の愛情を、今なら感じることができるようになった。

時間がとてもかかってしまったけれど、自分は自分のままでいいんだ。と

自分を息苦しくさせる癖に恐がらないように。と

少しづつ、少しづつ、言い聞かせる日々。

 

間違えのないただ相手にあわせた自分から抜けだすために

自分を自分で好きになることを、楽しむことから逃げないように

不幸は楽だ、悲観的な箱の中は安全だからそこに留まりたいと思うのかもしれない。

 

ステージに立つ自分が想像できないのも

大切な人と一緒に過ごす日々が想像できないのも

自分には、似合わない過ぎた幸せだと思っているから

どんなに努力しても、肩の力がぬけない

自分らしくないと、拒むみたいに声が言葉が絡まる

 

そこまで、解っているのならあとは自分の気持ち次第。

 

 

 

反面教師

気鬱になるからと、誤魔化し、誤魔化し、言わないできたこと。

ちょっとしたことでも、相手にどう思われるかばかり気にして口をつぐんで。

勝手なる推測は、人を弱く、卑屈にさせる。

その卑屈さを目の前にして、過去の自分を見ているようでモヤモヤするのは、まだ卑屈さが抜けきれない証拠かな。

不平不満ばかり口にして「別にいいんだけどさ。」とお決まりの台詞。

「私ばっかり・・」「普通はさ・・」といつも不満の種を探して、愚痴が口癖なんて見ていて哀しい。

周りばかりが目について、自分のことは見ないふり。

自分の価値を周りに委ね、言わなくてもわかってよ。

なんて、無理難題だよ。

そんな彼女たちの歪んだ口元に、目を背け。

悪口に、曖昧に相槌をうつ(聞き流そう)

哀しかったことを探すより、嬉しかったことを探すほうがいい。

「ありがとう」に心を満たされる幸せを感じていたい。

私なんて、私ばっかり、どうせ・・・なんて、言葉を自分に投げつけたくはないから。

そういう痛みは少量でいい、酔いしれるほどにあびせても歪んでいくだけだよ。

年末年始に見たそんな人の歪みに、とても疲れましたが、反面教師にしようともう一度、再確認。

自分の事を、一番大切にできるのは自分で。

それを、誰かにしてもらう自分に価値があると勘違いしてはいけないということ。

何より、思いやりがない日々を過ごしたくないなと思うんです。

気づいた幸せ

自分を自分で大切にする。

バカらしいと思えても、自分自身で自分を労わる。

自分を嫌いな人は人を好きにはなれない。

ゆっくりと時間をかけていろんな経験をへて、私は自分を許すことが今、やっとできてきた。

自分なんてと卑下をすることもなくなり、日々のちょっとしたことに幸せを感じるようになった。

精一杯で仕事をして「ありがとう」の一言が嬉しい。

「ただいま」と言ったら「おかえり」と言われることが嬉しく感じるなんて・・。

1人で生きるためにどうしたらいいのか?と、真剣に考えていた頑なで可愛げがなかったあの頃から考えると、とても大きな心境の変化で。

相手の一言をマイナスに捉えたり「なんでこんなこともできないんだ(気づかなかない)」と感じなくなった。

私は私、人は人。

相手に同意されない感情でも、それが悪い=自分が悪いと内心オドオドすることも少なくなった。

それは、卑下ばかりしていたときも、自分を好きになろうと努力したからで。

自分を知ろうと、自問自答し続けたから。

そしてなによりも、私は周り恵まれていたからに他ならない。

「あなたはあなたのままでいいんだよ」と何度も、何度も、言い続けてくれた人達の愛情のおかげです。

悩んでしまうときもあるけれど、生きたいと思えることが幸せなんだとそう思います。

明日は必ずくるとは限らない。だから

素直が難しい

歌を通して自分の足りない部分に気づく。

臆病に丸まって、表情を変えることなく淡々と生きてきた癖が見事に歌声にでていて。

足りない部分を引き出すために、色んな練習をしてきた。

今も、ただ音をだす、なぞるだけの歌い方じゃダメだって、心が折れてしまうぐらい言われている。

上手いことはもちろんのことだけど、そこに感情の流れがある声をだすためにはどうすればいいんだろう?と暇さえあれば考えている。

滑舌が悪い、声が細い、半音高い、ピッチがずれる。

全部、なんとなくでやってきたことをひとつ、ひとつ、丁寧にひろっていく。

自分の内面の弱さをひとつ、ひとつ、目の前にだされているみたいで嫌な気分にもなる。

否定されているような気分でもうやめたいと言いたいのに、やめられないのはどうしてなんだろう?

それは、指摘された言葉を否定されていると思うんじゃなくて、私ならできると思っているから言われているんだと気づいたからで。

いくらでも、否定的に絶望的になんてなれるし、でもそんな悲劇のヒロインなんてなって何が楽しいんだろう?と思うから。

私の場合、抑圧してきた部分が沢山あって、そのストッパーをどうやれば外せるか。

だから、今までお世辞だと思ってきた、あなたの声が好きと言ってくれる人の言葉を真に受けることにしました。

私より、歌が上手い人になんでいわれるのかが不思議で仕方がなかった。

緊張で声が思うようにでない私の歌声なんてと思ってきた。

惹きつけられるなんて言われても、下手な私の声の何がいいのかがわからなくて苦笑いを返して。

歌うと世界観が広がるなんて、お世辞にもほどがあるなぁ・・と。

ストッパー外して、自分の声をだしきって、飾らずに素直に歌う。

普段も上手くやらなくちゃと固く話さなくていい、素直に話せばいいんだ。

と、相手の反応をみて、つくづく最近、思います。

私のいいところは、「素直」に受け止め、プラスに変えられること。

変わることができること。

そう言われて、その良さを恥ずかしがって捻くれずに伸ばしていこう。

周りを変えようとするんじゃなくて、私が変わればいい。

自分のことを一生懸命に、人に思いやりをもって。

今の自分が悪いわけじゃなくて、それすればもっとよくなる。

~すればいんじゃない?は否定じゃなく、期待なのです。

塵ひとつ見当たらない恋

恋には魔物が住んでいる。

薄情な私は、相手の顔も声も覚えていない。

SNSを活用すれば現在進行形の相手を見ることができる。

きっと過去がよみがえり、ぶり返した風邪みたいに厄介になるに違いないと思い、開くことのなかったページの先。

どんなに見つめても、何も感じない。

彼の音楽を、声を聞いても何もかんじることもなかった。

なんで、私は彼がいいと思ったのか正直わからない。面影がどこにも見当たらない。

今、彼とすれ違っていても、気づくことはないと言い切れるほどに何も残っていなかった。

自分の薄情さや、盲目さを彼に伝えたらどう思うのだろう?

彼は「もう一度、出会ったとき、俺が後悔するぐらいいい女になってください。」

と言い残し、終わった関係。

私はいい女になれた気はちっともしない。

だけど、それが悔しくて、ふざんけんな・・と強く、強く、思ったから今も歌うことがやめられないでいる。

何を基準にいい女というのか、私にはわからない。

だけど、私らしさから目を反らし、誰かに幸せにしてもらおうと、相手の顔色を窺う恋はもうしないと決めた。

相手に自分の価値を委ねることをやめた。

心が折れそうになるぐらい、傷つき、立ち止まることがあったとしても

私は、歌うことだけは捨てられずに、歌うんだろうな。

そう、友達は笑いながら言うんだ。

自分がしたいと思うことを、ただバカみたいに真っ直ぐやり続ける。

それが物心つく前からある私らしさ。

周りと視線の先が違っても、好きなことには抗えない。

抗う必要もない、比べる必要もない。

そして、比べてしまう弱さも含めて私だから。

誰かを通じて自分の、弱さも醜さも知った、それでよかった。

出会いと別れを繰り返し、何を感じるか、何を感じれたか

感じることに蓋をして、相手のせいに全部してなかったことにはしない。

感じることは大切なことだから。

 

変えられない昨日のせいにするより、変えられる今日を、自分を変えればいいとそう思うんです。

どうしたものやら

あまりにも病気が長引くと、精神的にまいってくる。

治るのかな?という不安、周りに迷惑をかけている焦り。

止まらない咳が今もまた発作みたいに始まる気がして、眠れずにいる。

咳をしすぎたせいで喉は痛み、呼吸が安定してくれない。

何度となく、薬を変えては治る兆しが見えない身体に正直疲れている。

もう、何も考えず、ただただ治ることだけを考えていたいのに。

今まで当たり前のように過ごしてきた日々が恋しい。

そんな日常の大切さを、再確認。

 

自分が今、何をしたいのかを再確認。

『顔』第一印象を左右する大きな要素。

人は中身なんて言いながら、私はその現実を目のあたりにして思った。

美人なあの子にフラれたキミたちは、失恋話を私にして、口をそろえたみたいにこう言うんだ。

ほんと、キミはいい子だね、優しいね。と

そして、急に可愛いよ、好きだよなんて言ってくる。

中身で、私を好きになってくれた。それは、とても嬉しいことなのに。

私は、冷めた気持ちになってしまう。

何さ今頃・・・と、歪んだ気持ちが胸の奥に沈んでいく。

そんなことを何度なく経験し、私は異性の話を聞くということをやめた。

それが魅力なのだとしても、聞くことで人を安心させる何かがあるのだとしても。

相手に寄り添いすぎる癖もよくないし、自分のことのように考えすぎる癖もよくない。

そういう癖も、歪みもなくなったら、もっと楽に聞くということができるようになったら。

私と目の前の人は、入れ物が違うから、感じ方の違いは否定じゃないんだ。

ただ聞いてもらうことは相手を「安心」させることも知っている。

でも、それをやりすぎると、ただ喜んでもらうことが目的で

最初の純粋な「優しさ」を歪ませ、依存を生んでしまうから。

話しやすそうな『顔』だから、幼い頃から色んな人の悩みや愚痴を聞いてきた。

ときめく『顔』ではなくても、そういう『顔』も悪くないよなぁ。と長い時間をかけてやっと思えるようになってきた。

CIVILIANの『顔』という曲を聴きながら、過去を振り返り、心境の変化をなぞる。

コヤマさんの曲はやっぱり素敵な曲です。