どうしたものやら

あまりにも病気が長引くと、精神的にまいってくる。

治るのかな?という不安、周りに迷惑をかけている焦り。

止まらない咳が今もまた発作みたいに始まる気がして、眠れずにいる。

咳をしすぎたせいで喉は痛み、呼吸が安定してくれない。

何度となく、薬を変えては治る兆しが見えない身体に正直疲れている。

もう、何も考えず、ただただ治ることだけを考えていたいのに。

今まで当たり前のように過ごしてきた日々が恋しい。

そんな日常の大切さを、再確認。

 

自分が今、何をしたいのかを再確認。

『顔』第一印象を左右する大きな要素。

人は中身なんて言いながら、私はその現実を目のあたりにして思った。

美人なあの子にフラれたキミたちは、失恋話を私にして、口をそろえたみたいにこう言うんだ。

ほんと、キミはいい子だね、優しいね。と

そして、急に可愛いよ、好きだよなんて言ってくる。

中身で、私を好きになってくれた。それは、とても嬉しいことなのに。

私は、冷めた気持ちになってしまう。

何さ今頃・・・と、歪んだ気持ちが胸の奥に沈んでいく。

そんなことを何度なく経験し、私は異性の話を聞くということをやめた。

それが魅力なのだとしても、聞くことで人を安心させる何かがあるのだとしても。

相手に寄り添いすぎる癖もよくないし、自分のことのように考えすぎる癖もよくない。

そういう癖も、歪みもなくなったら、もっと楽に聞くということができるようになったら。

私と目の前の人は、入れ物が違うから、感じ方の違いは否定じゃないんだ。

ただ聞いてもらうことは相手を「安心」させることも知っている。

でも、それをやりすぎると、ただ喜んでもらうことが目的で

最初の純粋な「優しさ」を歪ませ、依存を生んでしまうから。

話しやすそうな『顔』だから、幼い頃から色んな人の悩みや愚痴を聞いてきた。

ときめく『顔』ではなくても、そういう『顔』も悪くないよなぁ。と長い時間をかけてやっと思えるようになってきた。

CIVILIANの『顔』という曲を聴きながら、過去を振り返り、心境の変化をなぞる。

コヤマさんの曲はやっぱり素敵な曲です。

半分は

事実は小説より奇なりみたいな出来事がおこる。

なんだこの展開は少女漫画みたいだと、他人事みたいに俯瞰する。

幸せにひたりきれない心、本当は聞きたいあなたの気持ち。

ひねくれていないで聞ければいいのに、過去が邪魔をするなんて言い訳だって気づいているよ。

可愛げがないと言いながら、いつもあなたは近づいてくる。

可愛げがない私に怒って、どうでもいい人にしていいよ。

逃げることばかり考える弱い私。

どうせ、私は可愛げがないし。

どうせ、私はあなたにつりあわないし。

甘えない女、俺は無理。

なんて言いながら、そんな無理な私にどうしてかまうの?

学生時代に出会っていたら、きっと俺は近づかない。

なんて言うなら、近づかないでよ。

嫌ならもうしないから、嫌?

見透かしたような言葉に、逃げ道がふさがっていく。

私からはふれることはなくても、許している時点でずるさは同じなんだと思う。

その温もりに、こっそり幸せを感じる私はずるい。

あなたのせいにするより、私がどう感じたか。

これから、どう変わりたいかを考えていこう。

曖昧で、不安で、そのずるさを全部あなたのせいにしたい。

だけど、そうさせているのも自分のせい。

どんなことも、半分は自分のせいなんだよね。

ほんと

明日は来ると約束してくれない。

と思いながら生きたら、私はまだこの世に未練がたらたらで

自分のほんとを隠して生きている。

体裁を繕って、空っぽな笑顔を貼り付けて。

嫌なことを嫌と言えない、相手を傷つけてまで言うことかい?

嫌われたくないんだ、そんなぐるぐるを考えた一か月。

私には必要だから、あんな真逆な人と出会ったのかな?

言いたいことを口にしているのに、どこか寂しそうで、繊細で自分勝手な人。

だけど、私が欲しいものを沢山もっている。

どんな私でも、側にいるよって言ってくれる愛を無視して、寂しがる。

あぁ、私も身勝手なやつなんだ。

心ふさいで、口をふさいで、息苦しいのは当たり前。

のみこんだ涙が伝って痛い。

泣き虫なんて言い訳がましいと、強がりを堅結びして身動きがとれないよ。

 

私らしさが好きなんて、言いながら去った人もいて。

好きなら側にいればいいじゃない?

嫌になったくせに、無責任な過去に今でもちょっぴり胸が痛い。

痛くていいんだ、想った分だけ泣いてもそれは弱さじゃない。

その別れがなければ、出会わなかった人がいる。

だから、その別れも思い出にできる。

ぐるぐる、うにゃうにゃ、考えて、考えて、ほんとがやっと見えてくる。

気がするを投げ飛ばして

細身でスラリとした人が好き。

見た目という入り口の好みからして、幅が狭い。

歳を重ねると、そういう人は幻想のようなもので

ないものねだりをする理想が高い人に思われる気がしていた。

でも、誰に遠慮して好みまで歪めなければいけないんだろう?と考えたとき

その気がするを投げ飛ばすことにした。

自分と似たような体型の人が好き。

ファッションの好みが似ていて、その人の着ている洋服を着たくなるような。

笑顔が優しくて、寝ぐせすら可愛く見える人。

考えかたの枠が狭くない柔軟性がある人。

お互いの違いを楽しめる、隣にいて安心できる人。

好みを口にすると、確かに誰かを傷つけてしまうのかもしれない。

だけど、私の意思は口にしてはいけないものじゃない。

あくまで、私の好みであり、世の中には沢山の好みが枝分かれしている。

その1つに過ぎない。

黒猫みたいにスラリとしていて、飄々とした雰囲気の人を無意識に目で追ってしまう。

まるっと認めて

勝手に、やってはいけないことを、言ってはいけないことを

決めつけているから、人と一緒にいると息がつまる。

1人になると安心する。

そんなことで「嫌わない」「信じて」と周りが言ってくれても

少しのマイナスな言葉で自分の全てを否定してしまう「癖」

その癖で生きるほうが楽だと思っているから、直したくても直せない。

直すという言葉さえ、自分が欠けているいように思えて、モヤモヤする弱さ。

自己肯定感の足りなさ。

嫌われる気がする、否定されている気がする、バカにされている気がする。

そんな気がするが、沢山ある。めんどうな性格。

あまり考えないようにして、モヤモヤした気持ちに平気な顔をすることが、ポジディブだって思ってきた。

自分が根にもたなければ、言わなければ心がざわつくこともない。

相手の気持ちに寄り添いすぎるから、ダメな人に依存される。

優しすぎるなら、誤解させないように異性には冷たいぐらいがちょうどいいと思っている極端さ。

モテることに罪悪感がある、可愛いわけでもない、猫をかぶるズルさもない、色気もない、媚びた洋服も着ない。

ないないだらけなのに、ただ少しその人が出会ったことがなかった優しさがあって、自分らしさがある私が物珍しいだけと思ってきた。

頷きは相手を全て、肯定している証拠でもないのに。

本当に大切な人には自分が思っていることは、違いがあっても口にするから。

目の前のどうでもいい人に頷くだけでモテることが、狡さのような気がして嫌だった。

異性に好意をよせられることは、嬉しいことよりも、煩わしさや、気持ち悪さという気持ちが勝っていて。

好きな人でさえ、私を異性として意識されている部分が見えると少し気持ちが落ち着かない。

それは、私は私でいいと丸ごとを受け入れていない証拠で。

いい加減、さよならしたい悪い癖である。

「私は、自分が思うほど嫌われていない」「自分が思うほど醜いわけじゃない」

『大好きだって言っているでしょう』

『いつも可愛いと言っているのに、全然、響いて(自信になって)いないよね』

友達の溜め息交じりの愛情を思い出すと、あとは私次第なんだ。

特別なものもない、自分なんかがじゃなくて、その人にとっては「私が好き」で「特別」なんだって

いい加減認めないと、そろそろ愛想をつかされる気がします。

前へ後ろへ行ったり来たり、めんどくさいけど、可愛いやつだと思うことにしよう。

目から鱗

「絆創膏ない?怪我したぁ。」と母に絆創膏を出してもらい、消毒もしてもらう。

小腹が空いてお菓子片手に部屋に戻る途中で

「これ食べない?」と、弟のもらい物を冷蔵庫からとりだす母。あぁ、美味しい。

たったコレだけのことで、すごく甘えている気分になる。

たったコレだけのことができなかった。

それだけのことを「甘え」だど「わがまま」と思っていたから。

休日、家族の気配を感じると気分が落ち着かず、1人になりたいといつも思う。

それは、相手を困らせたくはない、哀しませたくはない、怒らせ、嫌われたくはないから。

父方の祖母のようにはなりたくない、父や母のような夫婦になりたくはない。

周りの嫌いあう夫婦を見て子供ながらに考えたんです。

私が我慢すればいい、いい子で、いい子でいればいいんだって。

こうしたら怒られる、こう言ったら怒られるばかり考えていたら、極端に口数が少ない子供になっていきました。

本音を隠し、いい子でいなければと頑なに生きてきました。

そんな私でも「あなたは、あなたのままでいいよ」と言ってくれる人がいて

「可愛いって、だから(いつも)言ってるでしょう。」と呆れながら言ってくれる人がいる。

そんな人たちがいるのに、私は自分が愛されていないと、だから愛されたいと思ってきました。

愛されているのに、古傷ばかりを見て、愛されていることに気づかずに、気づこうとせずに。

そんな思い出をいつまでも、いつまでも、まるで大切な宝物みたいに抱えてきたんです。

ケンカをして、お互いの間に波風がたつからといって、相手を嫌いになるわけじゃない。

「どうでもいい人に、言ったりしないよ。」と言ってくれた人の言葉を、何度も、何度も考えました。

私の中に、彼にとって嫌なところがあるんだ、だから直せばいいんだ。

でも、私と彼は違う人間だから、感じ方が違うことも沢山、沢山あるんです。

じゃぁ、どうしたらいいんだろう?

考えて、考えて、気づいたこと。

波風をたてたっていい、お互い悪気があってやっていることは1つもなくて。

ただ、彼は自分を理解してほしくて、私が大嫌いで言っているわけじゃないって思えたんです。

まるで、子供みたいに怒りだす彼に、正直、戸惑いもあります。

思ったことをはっきりと口にだす彼は苦手でした。

きっと、自分には逆立ちしてもできないことをしているから。

その逆立ちをしてみようと、自分がやりたいと思いながら、してこなかったことをしてみて思ったんです。

そんなの全然、わがままじゃないよってことが。

それに、そんなことで私の周りの人は私を嫌わないよ。て、気づいたんです。

自分を好きになれない人が、人を好きになれないって意味がなんとなくだけど、少しわかりました。あぁ、こういうことかって。

違いを恐がるのは、嫌われたくないから。

口にして相手をがっかりさせたくないから。

あぁ、ほんとは私、嫌われたくない病だったんだなと。

目から鱗。

これから、苦手な逆立ちを禁止していたことをちょっとずつやっていこう。

そう、彼に伝えます。